2006年08月20日

『杉岡秀則 脱退コメント』

「始まりがあれば、必ず終わりの時がきます。

                   また、出会いがあれば、必ず別れの時がきます」


2006年8月12日(土)をもって、私杉岡秀則は「シカゴプードル」という人生のフライトから、

途中着陸をいたしました。


私と音楽との出会いは、小学校の冬、私の学校のオーケストラの奏でるハーモニーに引きこまれたのがきっかけでした。


中学に入り、父の手ほどきでギターを始め、エレキギターを始めるきっかけとなったDEEP PUR

PLEの「Black Night」を聴いた時の衝動は今でも忘れません。


高校では、兄とバンドを結成し、パフォーマンスを売りしたバンドを作り、またその後は、軽音楽部の

部長として、数多くの学園祭やライブをこなし、「ボーカル喰いの杉岡」とまで呼ばれた事もありまし

た。


朝も昼も夜も頭は常に音楽とギターで、どこに行くにも、寝るときでさえ、ギターと一緒でした。

音を楽しむと書いて、「音楽」。

この言葉を、言葉の意味すら考えずにただただ実感する毎日でした。


そして、大学に入って、花沢とのサークルの新入生歓迎会での出会い。


これが今のシカゴプードルを作る運命のきっかけであり、この日から私のシカゴプードル号としてのフライトが始まりました。


・奈良の「斑鳩ホール」でのアマチュアバンドコンテストから始まり、

・京都は「三条VOXホール」での初ライブ、

・数多くのライブという経験値をあげさせてもらった「京都のMOJO」や「ON AIR大阪」でのライブ、

・今聞けば恥ずかしいけれど、緊張しながらも一体感を感じながらの初録音をした吹田「YOU」での

レコーディングや、

・30万という学生にとっては大金を投資し徹夜で頑張った京都「RAG」での最後のアマチュアCDレコーディング、

・一つの自信となった「ライブキッズ」というコンテストでの入賞経験や、

・9.11からはじまった「ワタシ流イマジン企画」、そして学祭ライブ。

・4人での初の共同生活となった、三重は「合歓の里」での音楽合宿。


そしてそして、バンド人生のその後の運命を決定づけた、「第1回京都学生祭典KSMA」でのグラン

プリ受賞と、その後のプロとしての音楽活動。


すべての思い出が今走馬灯のように頭を駆け巡ります。


シカゴプードル号は同時に「学校」のようでもありました。

主人公は、

花沢、山口、辻本、杉岡という同級生4人の生徒と、

ディレクターという担任の先生、

そして、その5人を取り囲む様々な先生やスタッフ、お友達、応援団の方々です。

数多くのいわば、授業、実習、校外学習、修学旅行の中から、たくさんの学び、沢山の経験をさせてもらいました。


途中職員室に呼び出されることもありました。

ある意味、保健室を頼ったこともあります。


「経験値は絶対値」。


今となっては全ては良い思い出です。


・・・そんな、楽しいフライトも、いよいよ終わりの時がやってきました。


また、学校もいよいよ卒業せねばならない時がやってきました。


終わりははかなく、

別れは寂しい限りですが、

人生避けては通れない道です。

だから、


終わりは、次の始まりのサインとして、

別れは、次なる出会いのサインとして、

今回はポジティブに受け止めたいと思ってます。


ただ、「杉岡秀則」の人生はここで終わりますが、「杉岡秀紀」としての人生はこれからも続いていきます。

また、今回は、経済的な理由ということもあり、私の自主的な途中着陸なため、


他のメンバーのこれからの旅も続いていきます。


これをお読みの皆さんにおかれましては、彼らの残りのフライトも、これまで通り、いや、これまで以上に実りあるものになるよう、応援してあげて頂ければ幸いです。

ではでは、これまで杉岡を支えてくださったすべての皆さんに感謝を申し上げ、私の脱退コメントに代えさせて頂きます。


皆さん、


本当に今まで、


どうもありがとうございました。

  
                                       シカゴプードル ギター
                                                杉岡 秀則


P.S.
メンバーまた会社との話し合いの中の結果、(シカプーの私設ファンサイト『風(ぷう)』の中で

は、7月20日のメルマガ配信時にコメントを出させてもらいましたが)混乱を避けるためにも、この

オフィシャルサイトでの告知が事後報告となってしまったことをこの場を借りて、お詫び申し上げます。


投稿者 chicagopoodle : 15:50